旅づくし
菅沼佐和子 文と写真の修業用ブログ
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さわこ

Author:さわこ
SAWAKO
人呼んで「埼玉の女マルコ・ポーロ(笑)」。現在は東京在住です。編集プロダクションで旅行ガイドブックの編集を経験後、バックパッカーとして世界を巡る。これまでに訪れた国は100以上。現在はフリーランスライター&編集者として、再び旅行ガイドブック作成に関わる日々。
旅の素晴らしさ、世界の文化の多様さを、多くの人に伝えたいと願っています。

ウェブサイト:https://sawakon29.wixsite.com/writer
メール:sawakon29@hotmail.com

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ボン教の総本山・メンリ僧院
かなり久しぶりのブログ更新。

仕事で訪れた場所についてはなかなかここに書きにくいのだけど、そうやって言い訳をしているうちに、個人で行った場所についても全然書かなくなってしまった。
時間がなかなかとれなかったということもある。仕事と趣味が同じなので、どうしても仕事が優先になってしまってもいた。
だけど、自分の胸ひとつにとどめておかず、書きたいこと、お見せしたい写真は山ほどある。
そこで「できるだけ更新しよう!」と、何度目かの決心をしたわけだ。

今回はインド北部にあるボン教の総本山、メンリ僧院について。

ボン教というのは、チベットに古くから伝わる宗教だ。
このメンリ僧院もかつてはチベットのシガツェの近くにあったが、文化大革命によって破壊され、その後インド北部のドランジに建てられた。
本来の場所には今も建物が残り、再建が進んでいるが、僧院の長(リンポチェ)がインドに亡命したため、今もこのメンリ僧院が総本山となっている(ということらしい)。

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ソーランという、マッシュルーム栽培で有名な町から約15km。
緑濃い山々が見渡せる気持ちのいい場所に、メンリ僧院はある。
山上に、数々の寺院や学びの場、図書館、ゲストハウス、子供のための学校など、さまざまな施設が集まって建ち、谷を挟んだ対岸には尼僧院がある。どれも派手で立派な建物だ。

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ところで、ボン教とはそもそもどういうものだろう。
ボン教の僧侶は仏教徒と同じようなえんじ色の服を身に着け、チベット仏教寺院と同じような派手な寺院内で勤行をしている。お供え物からマニ車(お経が入った筒を回すとお経を読んだのと同じことになる道具)、何から何までチベット仏教そのものだ。

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しかし、マニ車は仏教徒とは逆に回すし、コルラという、聖地の周辺を回る宗教的な行為も、仏教徒とは逆の反時計回り。見た目の違いはほぼそれだけだ。
なぜ異なるふたつの宗教が、こんなにも似てしまったのか。

英語を話すボン教の僧侶、ヨンドゥン・ナムダック氏に聞いた。
彼曰く、「ボン教はチベットにもとからあった宗教です。仏教が入ってきたとき、それはボン教の大きな影響を受けました。他のアジアの仏教徒の僧服は黄色いでしょう?それは、ブッダ自身の僧服が黄色かったからです。そのなかで、チベット仏教徒だけが赤い服をまとっていますが、これはボン教をまねたからです」。

「ただし、ボン教では赤、黄、青の3つの色を聖なる色とし、僧服にも青を用いることがあります。これはボン教独自のものなので、青い部分のある僧服を着ている人がいれば、その人がボン教徒だと見分けることができます」。

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僧侶はさらに続けた。
「かつてチベットでは、ソンツェン・ガンポ(6~7世紀ごろの王)が、仏教を導入しました。ボン教を信仰していた私たちの王は負け、仏教が優勢となりました。ボン教の僧院が、現在チベットとネパールの国境付近に多いのは、皆仏教に追いやられたためです。ボン教の寺院は、チベットの辺境地域で細々と命脈を保ってきました」

チベットを統一した偉大な王であるはずのソンツェン・ガンポも、ボン教徒の側から見ると、自らの宗教を苦境に追いやった悪者でしかないのかもしれない。
ともあれ、ボン教とチベット仏教の見た目がこうも似ているのは、チベットにおいてボン教の影響がいかに大きかったかを物語っているのだと、私はようやく気が付いた。
それまでは逆に、少数派のボン教が多数派の仏教をまねしたのではないかと思っていたからだ。

こんな風に、かつては対立していた仏教とボン教。それでは今はどうなのだろう。
ダライ・ラマ14世はボン教について、「チベットのオリジナルな宗教であり、さらに研究すべき」と言っているという。国土を侵略されるという非常事態にあって、仏教徒とボン教徒はかつてのような対立をやめ、お互いを認め合っているという印象を受けた。メンリ僧院の図書館には、建物のオープン時にダライ・ラマが訪れて祝福をしたという石碑がはめこまれており、またゲストハウスの客室にはダライ・ラマの言葉を書いた掛け軸がぶら下がっていた。

ところで、こういう話を聞いて思うのが、日本のことだ。
仏教はかつて日本にもやってきて、鎮護国家のための宗教とされた。そして日本にはそれ以前から神道があった。
当時、仏教と神道との間にはどのような勢力争いがあったのだろうか。
確か手塚治虫の漫画『火の鳥』には、そのあたりのことが描かれていたと思う。
仏教徒とボン教の抗争の歴史を聞きながら、日本の宗教史が妙に気になった。

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メンリ僧院は、緑の谷に面した気持ちのいい場所にある。
非常にいい「気」が流れている場所だ、という印象をもった。

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