旅づくし
菅沼佐和子 文と写真の修業用ブログ
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さわこ

Author:さわこ
SAWAKO
人呼んで「埼玉の女マルコ・ポーロ(笑)」。現在は東京在住です。編集プロダクションで旅行ガイドブックの編集を経験後、バックパッカーとして世界を巡る。これまでに訪れた国は100以上。現在はフリーランスライター&編集者として、再び旅行ガイドブック作成に関わる日々。
旅の素晴らしさ、世界の文化の多様さを、多くの人に伝えたいと願っています。

メール:sawakon29@hotmail.com
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クンバコーナム・寺院のなかの聖なる小部屋で
2月から3月にかけて訪れた、インドのことをここに書こう。
いつまでも心に抱いていると、忘れてしまいそうだから・・・。

南インドの東海岸に面したタミルナードゥ州は、ヒンドゥー色の濃い州だ。
旅行者が訪れるような町のほとんどに、大きなヒンドゥーの寺院が建っている。その入口にはきまってゴープラムというゴテゴテした装飾の門がそびえ立ち、信者や観光客を内部へといざなっている。

このような寺院を、今回も毎日毎日訪れた。
というのは、10年前にも、私はタミルナードゥを旅したことがあったから。

当時を思い起こすと、タミルナードゥの旅はあまり楽しいものではなかった。
寺院のあちこちにいる聖職者らしい人が、外国人と見るとオイデオイオデと手招きしてくる。うっかり近づくと、額に色粉をつけてくれたり手に水をかけてくれたりし、その後普通のインド人と同じ額のお布施を置こうとしようものなら、「100ルピー」などと不当に高い額を要求してくるのだ。

清らかであるべき宗教の施設でありながら、聖職者がこのありさま。また、寺の本堂はヒンドゥー教徒以外に立ち入り禁止の所がほとんどで、疎外されているような気分になってしまう。しかも、寺の内部はどれも似たり寄ったりで、どこがどうだったのかが全く印象に残らない。

強制的に寺めぐりをさせられているようなこの州の観光に、いいイメージが残らなかったのも当然といえよう。

130704-1.jpg
写真はすべて10年前のもの。これはティルチラパッリのランガナータスワーミ寺院のゴープラム

あれから10年がたち、再び訪れたタミルナードゥで、私は以前のように寺めぐりを始めた。
暗くひんやりとして、コウモリのふんの匂いが時折鼻先をかすめる寺院内を歩いていると、2つか3つ目の町でどうもおかしいなと思い始めた。

「オイデオイデ」屋さんがほとんどいないのだ。

近年、南インドまでやってくる日本人はかなり少なくなっているから、聖職者たちが非効率だと思ってやめたのだろうか? それとも、「外国人にお金をせびるのは禁止」という決まりを、なぜかどの町でも厳守するようになったとか?

とにかく、タミルナードゥの町なかの寺院は、いつの間にか「あまり警戒しなくても歩ける場所」に変わっていたのだ。

それでもまだビクビクが抜けない状態で考えていると、仏教やキリスト教、イスラム教の宗教施設に入ったときの気持ちと、ヒンドゥー寺院にいるときの自分の気持ちが全く違うことに気が付いた。世界三大宗教の施設では、どこか厳かな改まった気分になるのに、ヒンドゥーの寺には奇抜さしか感じられない。

どぎつい色で塗られた異形の神像、極彩色の天井、窓がなく空気がよどんだ内部、じめじめした廊下の蛍光灯の下で飛び回るコウモリ。清く明るく正しい、いわゆる宗教らしい匂いが全く感じられない場所なのだ。しかしこんな所でも、信者のインド人たちは捧げ物をするために列をなし、敬虔な祈りを捧げていく。その心境がはかりかねた。

130704-3.jpg
マドゥライのミーナークシ寺院で見たカーリー女神の絵

そんな状態で、ありがたみなどまるで感じないまま寺をこなしていったが、ある寺院で深く印象に残る出来事があった。寺院の多い田舎町、クンバコーナムでのことである。

シヴァ神をまつるクムベーシュワラ寺院内にいたとき、数人が廊下から続いている小部屋に入っていくのを見た。私もほかのインド人にうながされ、その部屋に足を踏み入れた。オレンジの腰布をまとった聖職者がやって来て、隣の小部屋の入口にあった布を引いた。その奥にあったのは、円筒状のご神体である巨大なシヴァリンガだ。いつのまにか周囲には多くのインド人が集まっていた。皆息をひそめ、手を合わせて向こうの小部屋のリンガを見つめていた。

私を気遣って、周囲のインド人が「ちゃんとご神体を見るといいよ」と場所をあけてくれる。そういえば思い出したが、この寺院の本尊は、シヴァ自身が造ったリンガだというありがたい話ではなかったか。なんと、これは寺のご本尊だったのだ。ここでは外国人でも寺院の中心まで入っていいのだ。

130704-2.jpg
リンガとはこういうもの。これはタンジャーヴールのブリハディーシュワラ寺院にあった小さなリンガ

やがて祈り終えた聖職者が出てきて、信者に祝福を与え始めた。皆、静かにそれを受けてお布施を差し出していたが、彼らの敬虔な気持ちと宗教的な興奮が部屋じゅうに満ちているようだった。私も額の粉をもらい、水を口に入れ、お布施を置く。すべてがほかのインド人信者と同じだった。気付くと、私も彼らと同様に本尊に向かって手を合わせ、神聖なリンガを拝めたことへの感謝でいっぱいになっていた。完全に彼らの一員になったかのような、不思議な、そして感動的な気分だった。

なじみの宗教とはかけ離れたヒンドゥーの寺でも、神聖さを感じることはできるのだ。

クンバコーナムの暗い小部屋でのひとときは、今回の旅の宝となった。
   
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